2011年9月6日〜8日 飯舘村・南相馬市・名取市閖上地区・七ヶ浜町の現状など


福島県の災害派遣等従事車両の高速無料措置が9/10で終わってしまう。
行くなら今のうちだということで、遅い夏休みを申請し再度南相馬市でボランティア活動をした。
今回はdarkさん推奨のGammaRAE II Rを持っていったので、浪江町・飯舘村・伊達市等の空間放射線量を計測してみた。
さらに宮城県まで足を延ばし、津波被害で壊滅的打撃を受けた閖上地区や七ヶ浜町を見てきた。



二本松ICで高速を下り、R459津島R114山木屋経由で飯舘村入りし、南相馬へ抜けた。
すでに凄まじい数値が出ている。



うおーーーい9.76って何だよ。どこまで上がるんだ?
車内でこれだけ高いってことは外は・・・



終わってる。
この後、瞬間的に16.58μSv/hを計測した。
セシウムがあまり空間に漂っていないとわかっていても気分が悪い。悪すぎる。



え? ・・・?
車内で10.87?おいおい・・・
さすがにドアを開ける気にならなかったのだが、ここで背後からパトカー接近。
職務質問されたので結局ドアを開けて降りる。
「ここで何やってんの?どこ行くの?」から始まり「ここかなり放射線出てて危ないんだよ」等、最後は心配されました。
飯舘村役場職員・消防隊員・警察官の皆様、本当にお疲れ様です。



ログを取り出し、グラフ化してみた。
これが現実だとは思いたくないが、すでに村民が被曝してしまった事実。
飯舘の人々に放射線量を隠していたヤツは万死に値する。

この後、南相馬市福祉会館駐車場で車中泊。
寒かったがあっという間に眠る。深夜、余震で目が覚めるも、熟睡。

翌朝、快晴。暑くて目が覚めた。
今回のお手伝いは、側溝の泥だしと土間のガレキ撤去・泥出し。
地元の方は、放射能汚染はそれほどなかったのに原発事故のせいで先が見えない、原町の農業はどうなってしまうんだ、と嘆いておられた。
まだ120人以上の遺体が見つかっていない、という厳しい現実もある。
本当に原発30Km圏内はどうなっていくんだろう・・・

原町火力発電所内から見た津波1津波2。最初津波を軽視しているところがリアルすぎる。
例の固定式クレーンが0:54から映っているが、まだ原型を留めている。



帰路は浅はかにも険道で有名な県道62号で飯舘入りしようと目論む。
常磐道予定地を過ぎるとどんどん線量があがり、高の倉ダムあたりで4μSv/h超え。
写真の場所で7.96μSv/h。こんなに夕焼けが美しい場所なのに・・・
このすぐ先に猿が20匹くらいいたが、今後彼らは無事なんだろうか・・・

ダート化して九十九折で大きな倒木があったり路面がえぐれていたりした。線量は10.73μSv/h。
素手で倒木を触るのも躊躇われ、万が一事故でも起こしたら・・・とゾッとしたので素直に戻り、ちょっとショートカットして県道12号へ。
引き返そうとして車を切り返している時に、伊豆ナンバーの軽自動車が現れ飯舘方面に登っていった。
あの女性二人組は無事なのだろうか?



帰りは県道12号から県道31号で霊山へ抜けて福島市入り。
伊達市境の佐須峠は2.91μSv/h。

darkさんが言っていた通り、放射性雲は浪江の国道114号の谷を遡り、国道399号津島・国道114号山木屋に別れて谷を遡って飯舘村に入り、
県道31号の谷を登って霊山に達したようだ。その残りが国道115号の谷に沿って西進し福島市内に入り、二本松方面へ南下したものと思われる。
南相馬の山間部の放射性物質は飯舘からあふれ出た分なのか?某●○屋さんの説だと浜風の影響で放射性雲が押し返されたのかも、とのこと。



帰路もログを取っていたので公開する。
屋内はかなり線量が下がるのが一目瞭然。トンネルやコンクリ構造物の内部にいれば0.1μSv/hを切る。

自宅を出て帰ってくるまでに30.74μSv被曝した。
前回の被曝量と合わせると60.44μSvの被曝。問題ないはず。





翌日、宮城県名取市閖上地区を見た。
写真を撮ろうと思っていたが、惨状を見ているうちに胸が苦しくなってきて最小限の撮影しかできなかった。
写真は市営住宅?と思われる建物。2階まで津波が来ている。



閖上中学校。
1階部分が壊滅し校舎内に入れる状態だったが、やめた。



学校の正門前から海方面を臨む。
海まで障害物がほとんどなくなっている。コンクリの建物以外何もない。
津波に飲み込まれる閖上地区の動画



校庭には船が3隻居た。

閖上から仙台東部道路の下を走る一般道で七ヶ浜に向かったが、一部東部道路を越えて津波が来たようだ。
歩道のフェンスはめちゃくちゃになり、東部道路の盛り土にプレジャーボートが刺さっていた。



七ヶ浜町入り。
何もかも酷すぎる。
七ヶ浜は起伏が激しい町で、海岸沿いの家はすべて消え、高台の家はウソのように建っている。
標識はなぎ倒され、フェンスは引きちぎられ、記念碑は流失横転し、斜面にガレキが刺さっていた。



郵便局の看板は地元の人が見つけて戻したのだろうか。
この集落はほぼ全滅していたが、生き残った若い連中が漁船を修理していたり、
全壊したガソリンスタンドを復活させておっさん一人で営業していたり、なんとか集落を再生させようとしていた。



仙台火力発電所。
重油タンクか何かがあった場所はまっさらになっていた。


谷まで津波が押し寄せ、根こそぎ持っていったようだ。
山の上は平和そのもので、おじいさんがステテコとシャツ一枚で海を見ながら黄昏れていた。

この後塩竃まで行ったが、被災した塩釜民と会話していて非常に不愉快だったので写真は出さない。
他県の被災者をコケにするような発言が多く、この人は被災して発狂したのか?もともとアホなのか。
参考に塩竃の津波動画

塩竃の町は被災したのかどうか分からないくらいきれいになっていた。見た目は。
よく見れば地盤沈降と大潮で悩まされているのは分かる。


以上、簡単ながらまとめてみた。
また何かのついでに南相馬へ行ってお手伝いしよう。
それにしても高速無料じゃなくなるのはつらい。