2012年3月19日 飯舘村・南相馬市など
このレポはあくまでも個人の感想です。
3ヶ月ぶりに南相馬市へお手伝いしに行こうと計画し、15日の17時に自宅を出た。
佐野SAあたりで体調に異変。物凄い胸焼けと倦怠感。
こりゃただ事じゃないと感じ、PA等で休み休み高速を走る。
那須高原SAのトイレで下痢・嘔吐。発熱してるしこれはやばい。インフルエンザか?
本宮ICまで何とかたどり着いたが、記憶は途切れ途切れ。
ホテルの人に病院の場所を聞いて、部屋で倒れこんで就寝(覚えていない)。
とおもったら、深夜に目が覚め寝ゲ○寸前。風呂場まで間に合わずじゅうたんに盛大にやってしまったorz
その後は上から下から出るわ出るわで正直もうダメかと思った。
朦朧としながらもゲ○はすべて綺麗にしたが、当然シミと臭いがとれない。こりゃ弁償だなーと思ったところまで覚えている。
翌朝、どうやら各所にお詫びの連絡を入れていたらしい。家族にまったく連絡を入れていないのが自分らしくて笑った。
記憶が途切れ途切れで自分でも謎だが、気が付けば本宮の病院のベッドで点滴と注射を打たれていた。
知らない町で倒れて、知らない人に助けられて・・・福島の人の情にナミダガデテキタヨ・・・看護婦さんの手があったかくて(ノД`)
宿に帰ると、じゅうたん掃除終わってますよ、と管理人。ごごごめんなさい(ノД`)
その日はその後のこともよく覚えていない。
翌朝、なんで朝になっているのかもよく解らなかったが、どうやら薬をちゃんと飲んでいたらしく熱は平熱よりも低くなっていた。
熱は引いたのにやたらフラフラする。
診察の結果、ウイルス性胃腸炎・低カリウム血症らしい。
何も食っていないが、とりあえずオニギリを半分だけよく噛んで食べた。
昼にはまぁまぁ回復してきた。
せっかく支援物資持ってきたんだから南相馬に届けに行くかと昼に思い立ち、途中リタイヤも視野に入れつつ出発。
昨日は記憶のない時間帯が多かっただけに無理は禁物と言い聞かせる。
ちなみに【ウイルスを撒き散らしてバイオテロにならないよう配慮しています】。(一応言っておかないとね)
途中、体調が崩れることも無く飯舘村入り。
途中、浪江町赤宇木地区を抜けたが、20μSv/h近くあった放射線量が15μSv/hくらいまで下がっていた。
逆に飯舘村長泥地区の放射線量は上がっていた。
雪がかぶさって放射線が出てこれないのか、雪解けで放射性物質が移動しているのか・・・
飯舘村はカルデラのような盆地に田園風景が広がる・・・景色はもう記憶の中にしかない。
長泥地区。
この日は春彼岸だったので少し村民が戻っていた。
無人の村。
村役場、ここだけは灯りがともっている。
除染にはどう考えても限界がある。生業に戻れる日が来るのか、来ないのか。故郷に戻りたい人、断腸の思いで諦めた人。
あの日を境に膨大な「日常」が奪われた。
県道12号沿いの休耕田からモヤが立ち上り、幻想的な景色が生み出されていた。
去年夏に南相馬にお手伝いに行ってから、twitter経由で南相馬に住み続けている人、避難した人、飯舘出身の人、小高で復興に従事している人
と知り合うことができた。
皆、他人事でなく今なお苦悩の中にいる。
避難しなかった人もした人も、村を出た人も残った人も、誰も悪くない。誰も悪くないんだ・・・
余所者の自分でも飯舘を支援する為にはどうすればいいのか?南相馬は?これからも自分に問い続けていこう。
ようやく南相馬のボランティアセンターに到着。
土嚢袋が足りないと聞いていたので届けに来た。
センター長と話していたら、
1.小高区へ視察に入ったが、全くの無人でごく希にパトカーとすれ違うくらいだった。
2.地盤沈下が酷く、数Kmに亘って海水の湖が出来ていて民家が島のように点在している。ガレキが酷い。
3.それでも4月に沿岸部は避難準備区域の解除が行われるらしい(未確認情報)。
4.ボランティアセンターはすぐに小高に移したいが、ただでさえボランティアが集まらないのに、さらに原発に近づいて人が来てくれるのか。
5.小高には宿泊施設が無いのでどうするか。
ちょっと立ち話しただけだが、難題が多すぎる・・・
4月に必ずまた来ますと約束して熱いセンター長と別れる。
道の駅で地元のパン屋が作ったパンを買う。
数十分かけてゆっくり食う。
南相馬で具合悪くなったらさすがにヤバイ。
萱浜地区に来た。
まだ電飾があった。
海に向かって黙祷。
春彼岸。全流失した萱浜には、いたるところ花が手向けられていた。
生き残ってこれからを作っていく人、突然日常を奪われた人。
泣き笑いのような複雑な思いが余所者の心に流れた。
原発20Km圏内バリケード。
20Km圏内で亡くなった方の為なのか、ここにも花が手向けられている。
この後、17時には本宮に戻り、初めて家族に連絡した。
翌日、妹が新幹線と東北本線を乗り継いで本宮まで迎えにきてくれた。
今回は大変な道中となってしまった・・・