2010年11月7日 明神峠 米沢側踏破


TUKA御大から「明神峠の電話線が撤去され、作業道ができた。」との情報がdarkさんに入る。
こりゃ行かねば、と衆議?一決し11月7日に決行。


西栗子トンネル米沢側に車を停め、林道に入る。
取り付きはかなりの笹藪に覆われており、朝露でズボンがびちゃびちゃになった。
1.5mくらいの高さの藪をひたすらかき分けて歩く。
行けるような行けないような誘い込まれる道跡に精神的にやられる。写真を撮る気力すら無かった。
2007年まだ「獣」道として機能していたころのレポ



笹藪が物凄く、かなり歩いたような気がする。
切り通しまで写真ゼロ^-^;;
途中、謎の分岐があり九十九折れしてどこかへ向かっているが、あまりにも不明瞭な為追いかけるのをやめた。
鉢森山の山腹に林道跡みたいなものが見えたが、それなのか?不明。



まだあった。三菱製紙社有林。
2007年の写真と比べるとかなり藪が高くなっている。



しっかりと境界を主張。



稜線が近い。

ここからが大変だった。
2007年同様に踏み跡が消え、一旦沢まで下りる。
やはり沢にも踏み跡はない。
沢の底で周囲を見ていると、古い切り株複数を斜面に発見。
そこからむりやり斜面に取り付くと、一段上に踏み跡発見。沢にえぐられて2m以上の段差ができているようだ。
見つけた踏み跡は電話線の跡か?それすら判らないくらい自然に還っている。
ここは無理すると遭難しそう・・・



ここから稜線に向かう踏み跡もかなり不明瞭。
写真は電話線跡なのか峠道跡なのか、はっきりしない。
darkさんと「ああでもない」「こうでもないと」周囲を偵察しGPSと相談しながら慎重に慎重に進む。
途中峠道の九十九折れがきれいに残っている箇所もあったが、断絶していて進めない。



今来た道を振り返る。かなり標高を上げている。
このあたりも沢地形なのか道の跡なのかいまいちはっきりしない。



電話線の遺構はきれいさっぱり無くなっていたが、この急登でようやく出てきた。
西栗子63



明神峠は最初林道規格だったというが(四等三角点明神山S34年「点の記」に記載あり)、ようやくそれらしい場所に出くわす。
これまでが酷すぎた。



二条の轍がうっすら残る。
やっぱり車両が通ったことがあるんだなぁ、と感慨深くなる。



道に迷ったか?と不安になるが、遠くに峠の松が見えてきた。
ガサガサと進む。



振り返って撮影。どうやらここも林道跡らしい。
針葉樹の幼木がちくちくして痛い。



TUKAさんから得た情報の通り、峠には松があった。



明神峠到着。
藪が酷すぎる・・・
真ん中のピークが明神山。では行ってみますか・・・と思ったものの・・・



うは、こりゃ無理だ!
と言いながら笹原を渡り斜面取り付きまで騙し騙し行ったが、潅木で身動きが取れなくなり敗退。



峠に戻ったが藪が酷く休憩もろくにできない。
反射板に向けて登る。
振り返ると明神山の斜面にカーブを描く松の道。
昔は山頂に祠でもあったのかな?今となっては松の木のルートはとても辿れない。



鎌沢方面。
ヒーヒー言いながら何とか反射板に着く。
さらにライブカメラのある電波塔まで登る。二人とも偽稜線に騙された気分でうんざり。



ようやく電波塔に到着。
ここは樹木も少なく四方に視界が開けて気持ちが良い。
写真は米沢盆地。遠くに白く朝日連峰。



鉢森山方面。
ここから鉢森山まで舗装路で連結している。
恐らくスキー場から車両で入れるのだろう。



電波塔前景。
鉄塔真ん中にライブカメラがあった。


おにぎりを食ってスキー場ゲレンデを下りdark車に戻った。なぜか異常に疲れた山歩きだった。
疲れを癒すため、五色温泉へ向かう。



五色温泉から撮影。
正面にさっきまでいた電波塔が見える。
夕日がきれいだ。



五色温泉は露天風呂のみ立ち寄り可。
この日はやたら混んでいた。
この狭い浴槽に最大4人入った。ハハハ・・・


この後郡山で打ち上げと称して飲み、車中で寝てから深夜高速に乗る。
4回くらいPAで爆睡し9時間くらいかかって帰宅。


darkさん、次は栗子山ですか?^-^;