2012年11月5日 南相馬市小高区
このレポはあくまでも個人の感想・計測値です。
4月より避難指示解除準備区域となり立ち入りが自由となった南相馬市小高区。
原町区にあったボランティアセンターも小高区へ移り、復興に向けて一歩踏み出した。
今回はスケジュールの関係でボランティア活動には参加できなかったが、
後方支援部隊の端くれとなったのでセンター長にご挨拶を兼ね支援物資を届けてきた。
南相馬市小高区は、平将門以来脈々と続く相馬氏の本拠地として栄えてきた。
今回の原発事故では、上の地図の通り福島第一原子力発電所から20Km圏内に入ってしまい、
今年の4月までは立ち入りすらできなかった。
立ち入りが許可されても、未だ寝泊りは許可されておらず、正直復興のフの字も無い。
ボランティアセンターが小高に移りようやく人が集まり始めたが、センター長によるとまだまだ人手が足りず四苦八苦しているとのこと。
小高に行く前に、常磐線磐城太田駅に寄った。
線路は錆び果て、薄が路盤を覆っている。
小高区に入り、国道6号線から市役所へ向かう大井交差点にあった掲示。
『負けるもんか!!南相馬市おだか区』
南相馬市ボランティア活動センターに到着。
センター長に支援物資を渡し、ステッカー等を購入する。
センター長はいつお話しても凄い人だと思う。尊敬。
微力ですが後方支援がんばりますm(_ _)m
ボランティアセンターを後にして海へ向かう。
大井交差点を過ぎてすぐ小高川を渡るが、その橋の上から海方面を撮影。
津波で全て流されている。
車もぐちゃぐちゃのまま放置されている。
橋の下からバシャバシャと音がするので、鳥かな?と思って見たところ・・・
小高川に鮭が戻っていた。しかも大量に。
橋の上から国道6号線を見る。
あの山の向こうは浪江町昼曽根の辺りだろう。
いまだに一時帰宅以外誰も立ち入りできない地区。
津波の凄まじいばかりの威力。
防潮林の名残だろう。
耐えてまだ立っている。
村上海水浴場の北。
ここには民宿や民家があったはず。全て無い。
塚原地区は少し標高が高い為か、一階部分が抜けたものの建物は残っている。
壊すしかないだろう。
トラックがありえない形に歪んで横転している。
堤防は見る影も無い。
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